ものたりない。ものたりない。ものたりない。
どこにいっても何かが足りなくてむずむずする。
どっちにいてもひどく寂しくはない。どっちにいっても夢中になれることがある。
でも、どっちを発つときも、何だか寂しいような気がする。
大事なものを後ろに置いていっているような、無視するに足る小さな小さな不安に襲われる。
これって、実質“2つの家を持つ”留学生は皆抱えている感情なんだろうか、と最近よく思う。
アメリカには夢とそれを実現させる舞台がある。
日本には家族と大切な友人たちがいる。
アメリカで気にするのは己。
日本で気にするのは周りとのつながり。
アメリカで出会う人の、人の良いところ/悪いところを見つけたら自分に投影し、
いかに自分がそれから盗んで学んでいくか。
日本ではその人の持つものを全てをまとめて個性と認め、いかにそれに面白味を持たせるか。
いかに自己主張できるか。
いかに周りと調和できるか。
いかに自分を貫けるか。
いかに色んなアイデアを取り込めるか。
アメリカで出かけるときには、“今日はどの曲を聞こうか”
日本では“今日は何時に出かけてどうラッシュを避けよう、何時までに帰ってこようか”
自分をどれだけ追い込めるか。
自分をどれだけリラックスさせられるか。
今日何を学んで、それを明日にどう活かすのか。
今、この瞬間をどれだけ楽しめるか。
今日一日でどれだけ将来の自分を膨らませられたか。
今日どれだけの過去や思い出を友人と語り合えたか。
どれだけ一人の足で立てると自分を納得させるか。
どれだけ自分には他人が必要だと思い込ませるか。
どれだけ未来につなげることができるか。
どれだけ過去とつながることができるか。
頭をシンプルにシンプルにしていくと、そういうことなような気がする。
でも未来も過去も大事だからしょうがない。両方必要だと思うのはしょうがない。
でも過去を考えてるときに未来のことも同時に考えることはできない。
両方いっぺんには手に入らない。
頭を切り替えることならできるけどね。
うーん、日本にいるときは保守的で、アメリカにいるときは自由主義すぎるのかしら。
それとも単に、OnとOffの切り替えが人より激しいだけだろうか。
それともそれとももっと単純に、自分を型にはめ過ぎているだけなのか。
なんだなんだなんだ。あんまりいい気分じゃないけど、無いものねだりしててもしょうがない。
無いものは無い。在るものは在るんだし。創れるものもあるかも知れないし。
まぁまだまだ良く分からないのだけれど、考えすぎて立ち止まる必要もない。
別に二択ではないのだから。
白か黒か、じゃなく、別にグレーでもいいんじゃない?半分白で半分黒とかでもさ。
足場を広げりゃ、不安定にもなるさ。そりゃーあれだ、必然みたいなもので。
ふむ。あれだ。いっそヨーロッパとかに一度飛んでみるものいいのかもしれない。よね。
根っこを地面深く深く伸ばすのも、天に向かって高く高く枝を伸ばしていくのも、両方大事。
充電したなら、放電しないと意味が無い。
はい、そんな当たり前のことがとりあえず分かったところで、明後日San Marcosに帰ります。
2週間の日本、思ったよりのんびり楽しめました。帰ったら、スイッチ入れよう。うぃっす!