For every minute you are angry, you lose sixty seconds of happiness.
(1分怒っている間に、60秒の幸せが逃げていく)
またもChoice Theoryの話をちょっと書きたいと思います。
こういう考えもあるんだなー、くらいの気持ちで読んでもらえれば嬉しいのですが。
上のQuote、Choice Theoryに通じるものがあるかなぁと思ってふと思い出したので
書いてみました。1分の怒り、60秒の幸せ。同じだけの重さがあるもの、どっちを選ぶ?
“Choice Theory”の著者であるWilliam Glasserは心理学者、というだけでなく、
MDの資格も持っているpsychiatrist(精神科医)さんなんですが、
彼はこんなことを本の中で言っています。
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明らかに苦痛/苦悩に苦しんでいる人に対して、
“気分はどうですか?”という質問はするべきではない。
この質問は、怪我をした人や病気の人に対して最も頻繁に聞かれるものではあるが、
この質問をされて即座に気分が良くなることなどないのだ。
私がLAの病院で精神科医として働いていたとき、治療に長い時間を要するような患者を扱う
整形外科医や他の医者にも、この質問をしないようにしようと話をした。
この質問が“元気です”や“良くなっています”という答えを期待しているということは、
医者の目にも患者の目にも明らかだからである。
だから、多くの患者は嘘をついて“元気です”と答える。
そしてこれが、医者と患者の関係に立ちはだかる壁ともなってしまう。
<略>
より相応しい質問は、こうである。“今日は何をする予定ですか?”
どんなに重い病気の患者にも、例え病院の中でも、ベッドに横になる以外にすることはある。
自分に何かプラスになるようなことができるんだよ、と患者に暗示することで、
困難な状況でも自分の気分を上げるコントロールは自分自身が握っているのだ、
と、気づかせるヒントを与えているのだ。
患者は、crazyな医者だ、という目であなたのことを見るかも知れない。
現に、全身麻痺の患者がそうだった。でも、私がいつもこの質問をする際には、
ちゃんといくつか例となる答えを用意しておくようにしている。例えば、全身麻痺の患者でも、
TVを見たり、同室の患者とお喋りしたり、といったシンプルなことならば難無くできる。
毎週毎週患者と顔を合わせていれば、そのうち患者はこの質問を尋ねられるのが
楽しみになってくる。そしてちゃんと答えを用意して待っていてくれるようになる。
何かしてるほうが、気分が良くなりますね、と言ってくれる患者も多々いる。
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全て自分なりの意訳ですけど、読みにくかったらごめんなさい。
最初に言っておくと、扱っている患者の質が違うから、
この話がまるまるAthletic trainerに当てはまるわけではないと思います。
現に、私はhow do you feel today?ってAthletesにしょっちゅう聞いてます。
大事な質問だと思うから。
でも、この話はこの話で、読んでいてなるほど、と思いました。
苦悩に嘆くこと。悲しみに暮れること。
こうしないほうがよりpainfulな選択肢に思えて、人はこういった選択を簡単にしてしまいます。
それを“to be depressed”と受身に表現してしまうことで、なおさら“悲しみが降りかかってきた/私たちは被害者だ/できることなど何も無い”と言った考えに進んでしまう人も少なくありません。
だからこそ、全てを動詞(depressing)で表すべきなのです。
あなたはあなたが今現在していることを、自分で選んでやっている。これは他のものを選ぶことも可能だったと同時に、あなたはあなたのしていることに責任がある、ということも意味します。
動詞を使えば、あなたはもはやただの“あなたに起きたこと全ての被害者”でなく、
“自らの選んだ良い選択肢の受益者”にも、“悪い選択肢の被害者”にも、
自分で選んでなることができる。この責任を負うのは、もちろん簡単なことではないけれど。
この部分のGlasserの主張にはとんでもなく同意しますねー。
正直こういう風に考えるようになってから、気が張り詰めたと同時に気が楽になりました。
両方とも、良い意味でね。
人は、生まれてから死ぬまで、Behave(行動)することしかできないのだ、
とGlasserは言います。だから、あなたのすることでverb以外のことなんか無いのだ、と。
ちょっともっともだと思いません?
やっぱりこの本面白いや。
ときどき“う~ん、これはどうかな?”と思うstatementもあるけど、
その取捨選択をするのも自分。
私のこの文章を読んで、ひどい内容だ、と忘れてしまうも、
面白いかも、と思って実践してみるのも、120%あなたのchoiceなのです。