“Have you ever missed the chance of the victory?”
(勝利をあと一歩っていうところで逃したことはある?)
今日、Managementの授業の代講で来た、Dr. Ransoneが生徒に聞いた言葉。
Management of Athletic Training Programという名前のこの授業、
参加している生徒はATSかPre-PTの学生のみ。
皆、高校ではスポーツしてたって前提で話すけどいいかな?と前置きして、
彼はこんな質問をしました。
ほとんどの生徒が、yesと頷きます。
“Whose fault was that?”
(それは誰のせい?)
彼は重ねて質問をしました。
生徒は口々に、審判、とか、コーチ、と言います。
私は中学で、前半20点のリードがありながら結局1点差で負けた決勝戦や、
高校での絶対に勝ちたかった一戦を思い出していました。
あと一歩で、指の間をすり抜けた、掴めなかった勝利の苦さ、今でも鮮明に覚えています。
色々な思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り、
リードに緩んだチームの雰囲気、コーチとの確執、心に未だに引っかかっていることが一気に脳みそのてっぺんに来たところで、ふと、いやでもさ、と思い当たることがありました。
“It's your fault.”
そう、まさにそうなんですよ、Dr. Ransone。
私も、私のせいだと思うんです。結局のところ。
“It's all your fault.”
言い聞かせるように、もう一度。
“If you get struck out, that's definitely your fault,
you should've swung, fouled, you should've done whatever takes.
You can blame anything, wind, pitcher, umpire, loud desructive crowd,
but 25 years later, what does it say on the record? You got struck out!!
How do you record "a bad call" on the score book anyways, BC?
unhappy face mark? The fact is, you didn't swing, and you lost the game.”
まさに。まさに。
私が自分の奥深くで信じていて、でもアメリカ人の誰ともshareしなかった概念。
それを彼が見事に言葉にして言ってのけたので、本当にびっくりしてしまいました。
試合終了直前のbad callが、勝利を決めたわけじゃない。
野球の試合って、9イニングもあるんです。
チャンスは、何回もあったはず。なかったなら、作れたはず。
仮に本当に最後のコールがbad callだったとしても、それは自分で負ける要素を散りばめてしまっていた結果であって、その時点ではそのbad callはもはや運命だった。
そんなちっぽけなひとつの不運で勝敗なんて決まらないんです。
スポーツだけじゃない。人生でも一緒。
最近の私は、
今日くらいは休んでもいいかも、とか、こういう事情があったから、とか、
勉強でも私生活でも何かを正当化することばかり上手くなってしまって、常に全力を尽くしていると、自分らしく生きていると、誰かの目を真っ直ぐ見てはとても言えないような自分になってしまっていました。そんな自分も、自分でそんな種を辺りに蒔いてしまっていたからなのか。
自分が何かの結果を求めて行動しているのなら、
それに辿りつけなかった原因は、間違いなく自分にある。
理想の自分からどんどん現実の自分が離れてしまっているのも、
誰の責任かなんて、本当は分かっているはず。見ようとしていないだけで。
大事なのは、言い訳なんて見つけようと思えば幾らでも見つけられてしまうということ。
でも、言い訳をしない、という道は、たったひとつ。苦しくとも、真っ直ぐ続く美しい道。
失敗の痛みまで両腕を広げて受け止められるなら、それが本当の覚悟なんじゃないかしら。
それほどまでして何かに辿り着きたいと思うなら、それが本当の情熱なんじゃないかしら。
自分の行動の、全てを受け止める、という覚悟。
最近の私に欠けていたのは、まさにそれかも。
ちょっと見方を変えて。これは、失敗だけじゃなくって、成功でもそう。
奨学金をもらった。仕事をもらった。昇進した。素晴らしい研究が出来た。
思いがけず飛び込んでくる良いニュース。
自分のことを思い、仁義を尽くしてくれる人、タイミング、運…そういったものに感謝を捧げたくなるけれど、いや、捧げるのは良いことなんだけれど、でも、何かを成し遂げたのは誰?
それは紛れもないあなたで、それがあなたに起こったのは、あなたがあなただったから。
あなたが、あなたの成功の種を毎日蒔いて水をやって、しっかり育てていたから。
ちゃんと手入れをされて、咲いたその立派な花を見て、
綺麗だね、ずっと見ていたいね、と、見た人が思ってくれたのは、それはもう、運命。
成功も、失敗も、その根があなた自身の中に生えているならば、
何を伸ばし、どんな花を咲かせるかという選択肢も、あなたの中にある。
時々生まれてしまう、失敗の花も、また美しい。それをそのまま枯らせてしまわなければ、その色を、形を決して忘れないように自分の中に刻めれば、それはきっと成功の花の種になるはず。
結局、何を成すか。大事なのはそれだ。
そして、do whatever it takes。
それを決めたら、覚悟を持ってやり遂げるしかない。
覚悟って、生半可にできるもんじゃない。危険がいっぱいで、uncertainがいっぱいで、怖い。
でも、その怖さも飲み込めば、その覚悟はあなたの強さになる。
Dr. Ransoneは、そのあと、これはあるPhysicianが作ったものなんだけどね、と、
一枚の紙を皆に配ってくれました。
Instructions for lifeと題されたそのプリントには、38箇条の“生き方”が挙げられていて、
例えば、
13. Say "bless you" when you hear someone sneeze.
という可愛いものから、
14. When you lose, don't lose the lesson.
21. Open your arms to change, but don't let go of your values.
24. Live a good, honorable life. Then when you get older and think back,
you'll get to enjoy it a second time.
27. Read between the lines.
という教訓的なものまで、本当に沢山。
机の前に張っておこうかな。
仕事を終えて夕方家に帰ってきて、やっぱり今日の講義は本当に素晴らしかったなぁと思い返していたら、Dr. Ransoneにちゃんとお礼を言っておかねば!という気持ちになりました。
その文面に、
I've been feeling like I'm missing something,
maybe that was the last piece of determination.
I think I gained it back.
Thank you!
と思いっきり書いたら、自分の中でパズルがかちっとはまった音がしました。
それが最後のピースだったのかどうかはまだわからない。
けれど、それはこれからの自分の行動が知らせてくれるはず。
5年間頑張ってきた自分に、いい加減ご褒美をあげたいもんです。
第一章の、ラストスパートはこれから!